
以前私が留学をして実感したことがあります。
それは、この国はやはり他民族国家、いや多言語国家だと言うことでした。
その多言語国家は新しい流れを生み出しているのです。
そんな不思議の国と英語ついて少しお話ししたいと思います。
お付き合い下さい。
この記事の目次
顔立ちも違う、母国も異なるアメリカ人
私の学生生活は、生まれも育ちもアメリカという
典型的なアメリカ人の友人達に囲まれておりました。
当然?当然です。
でもその顔だちは、皆さんが思い浮かべるそれとは一線を画しているのです。
そんな彼らは:
5世代目の中国系アメリカ人。
世代説明をも必要としないアフリカ系アメリカ人。(これが正しい呼び方です!)
2世代目の韓国系アメリカ人。
チェロキーインディアンとイギリス人の血を4分の1づつ引き継ぎ、
ポーランド人の父の名を姓にもつポーランド系アメリカ人。
彼はどういうわけが日本人好きで、日本人の英語学校生と結婚してしまいました。
日系三世の男子達。彼らは日本語がまったく出来ませんでした。
そして、日本のアメリカンスクールを卒業してアメリカ国籍を選択した、ハーフの男子数名。
さらに日本から来た留学生の私。といった仲間たちです。
たまたま共通語として英語があると言う感覚
全員の共通語は英語です。
生活の中に割り込んでくる音は英語の音です。
毎朝の洗面所で交わすあいさつ。
つけっ放しのテレビからは今日の天気予報が流れる。
ドアの前に置かれた大きな新聞を固まりを拾い上げる。
インスタントコーヒーをすすりながら学校へ行く準備に追われる。
ダイニングセンターで朝食会。授業中の教授の子守唄(笑)。
休み時間中の喫煙と他の生徒たちの声、学生食堂での情報交換。
寮のロビーやリクリエーションルームでのたわいもないおしゃべり。
表面的には全てが英語でとり行われます。
母国語を使いこなすアメリカ人とは?
そんな彼らが持つもう一つの一面が、母国語を操ると言うことです。
最近の日系アメリカ人の実情は残念ながら調べておりませんが、
当時の日系3世で日本語を使いこなせる人に会うことはほとんどありませんでした。
これは、アメリカにおける彼らの歴史背景があるのですが、
彼らはアメリカ人になることを選んだようです。
かたや、中国系アメリカ人は、ほぼ母国語を使いこなせていました。
自宅では中国語で過ごしているそうです。
彼らはアメリカでも中国人であることを選んでいるようです。
他のアジアの友人にも同様のことが言えました。
ハーフの友達もやはり日本語を使うことが頻繁でしたね。
今や多くの有色人種がアメリカ人として生活するアメリカでは、
自分たちの母国をしっかりと意識て生きるということが重要なのです。
英語を習得に留学した私は、当初この母国語を使う友人達に戸惑いました。
しかしながら、後にこのことが留学生の私に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
母国語と英語を切り替える生活が生み出すもの
アメリカ合衆国の約2割の6000万人が、国籍を有するにもかかわらず、
英語を操ることが出来ないと言われています。
移民したばかりの人に加え、その家族が大勢いるということです。
かたや、何世代にもわたりすみ続けている多くの人間が、
英語以外に母国語を操っているのです。
彼らの多くは、
英語と母国語を交互に切り替えて家族や友人さらに考えを共有できる仲間と
コミュニケーションを取り、生活を営み、また日々の戦いに挑んでいるのです。
英語が出来ないからアメリカ人になれない時代から、
民族の誇りと母国語を大事にしながら英語を共通語として使う、
と言う時代になり始めています。
物理的な境界線を簡単にこり越えることが出来るデジタル社会。
そんなデジタルの力がグローバルなつながりを加速しています。
共通語としての英語を学ぶとはどういうことか?
英語の役割は、肌の色や文化の異なる
より多くの人々とコミュニケーションをとることです。
さまざまな考え方や見方を知ることが出来る
唯一の手段ということが出来ます。
見方を変えれば、
多くの人々に自分や自分の国、
文化を相手に伝えることが出来る手段でもあるのです。
国という大きな単位でひとくくりにされていた時代から、
民族単位に、そして今まさに個人の単位になりました。
個人で活動し、
コミュニケーションをとる時代になっているのです。
そんな個人の時代に、
私たち自身のことを伝える、
相手のことを知るツールが英語なのです。
英語が上手くなるとは、
ネイティブのように喋るではなく、
自分のことをしっかり伝えることが出来ることなのです。
相手のことしっかり理解することができると言うことなのです。
発音はかっこいいほうが良いですよ。
でもそれだけではありません。
俗語はいけてます。
でも知っているだけで十分です。
英語を学ぶとは
自分らしくしっかり英語を使う日本人になるためなのです。